米百俵の群像
ハイブ長岡脇にあります。小泉首相が就任した時に話を引用して有名になりましたね。
この像については長岡市のサイトに詳しい説明があります。
一部引用。
慶応4年(1868)5月に新政府軍との戦いは長岡の敗北で終結しました。
まちは焦土と化し、禄高は三分の二に減らされ、人々は極貧の生活を強いられていました。こうした貧困と混乱の中、敗戦の翌年、明治2年(1869)5月に、小林虎三郎らによって、焼け残った四郎丸の昌福寺本堂を借りて国漢学校が開校されました。
翌3年春、長岡の窮状を見かねた分家の三根山藩から米百俵が届きました。ところが小林虎三郎は、「早く米を分けろ!」といきり立つ藩士たちに向かって「この米を、一日か二日で食いつぶして何が残る。国がおこるのも、まちが栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て人物を養成するのだ」と論じました。
こうして米百俵は国漢学校の建設の資金に充てられ、明治3年6月15日坂之上町(現大手通2丁目)に開校し、長岡の近代教育の土台が築かれました。
(米百俵の群像−長岡市Webサイトより)
位置ですが、ハイブ長岡と長岡リリックホールの間にあります。夕日に映えるととてもきれいです。昔、日本テレビ系の「知ってるつもり」という番組(もう終わりましたが)で長岡藩の話をやった時はここでロケしてましたね。たまたま見かけました。
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